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2017/06/16

成し遂げるとは、丁寧に仕上げること。

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紫陽花、ヒメシャラ、君子蘭。

梅雨空が似合うと思っていた花々も、

爽やかな青空の元では違った魅力を

見せてくれることに気付いた今年の初夏。

 

先日、長野県の安曇野の先、

大町市まで足を伸ばして参りました。

鷹狩山の展望台まで行くと、

黒部の山々が神々しく、

まるでレイヤで重なっているように見えます。

 

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植物は力強く、岩山は穏やかで、水は清らか。

観光名所ではないところに、心が揺れ動く場所はあるのです。

それは、自分がどのような視線でモノを捉えているのか、

というように、客観的に自分と対峙するくせをつけると、とよいようです。  

 

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さて、絵を学び始めてから半年が過ぎました。

週に一度だけ、2、5時間の間、じっくりと絵に向かいます。

アトリエに向かう直前まで、CADで図面を描いていたりするので

頭の切り替えが大変。

 

さらに技術という手業が少ないため

なかなか自分の中のイメージを表現していくことは難しく

何度も何度も書き直しをしています。

そのプロセスは他人から見るととても面倒くさいことに思えることでしょう。

 

「まったく何の為に?」と。

 

しかし、その面倒くささの中からひょっこりと、

まるで偶然の産物のように

「これだ!」と思える表現に気付いていきます。

 

そんな時、至福の喜びが生まれます。

「あ、これは私がいつも講演で重要!といっている

アブラハム・マズローの欲求の5段階の頂点なんだ!」と。

 

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現代社会ではとかく「効率」が重要視されます。

だから、ワタクシ、社会とは真逆を走っています。

大胆な逆走ですが^^;

 

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自然と芸術、そして音楽は私の中では「ひとつ」です。

自然も芸術も「わたし自身」

それは「いのち」という言葉が一番近い表現かもしれません。

 

絵を描くこと、また、生業である建築を設計すること自体が

私のいのち、つまり生きること、なのです。

 

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「毎日 丁寧に生きる。

 そのために必要なものは、意志である」

 

これは、大好きな清川妙さんの言葉です。

 

丁寧に生きることは

日常の面倒くさいを克服することなんですね。

 

何かを成し遂げる、とは丁寧に仕上げることだと

私は感じています。

 

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大町市では「北アルプス国際芸術祭」が行われています。

自然と芸術。

 

私が訪れたのは開催日前だったため、

準備の様子しか見れなかったのですが

安曇野から大町まで「アート」が点在していましたよ。

http://shinano-omachi.jp

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2017/06/06

美しくいのちを使い切る

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6月に入りました。爽やかな陽気が続いています。今年になってほぼ週末は地方に出張しており、道中の車窓からさまざまな季節の変化を楽しむことができました。

先週末は長野県松本市、上高地の麓にある梓川の家のお引き渡し、その後あるご相談に乗り、夕方移動。翌日は三重県の津市での新しいプロジェクトの打ち合わせでした。

神奈川県からですと、富士山を中心にして、中央自動車道と新東名を三角形の形を描くように走ります。

残雪と緑豊かな長野県の山々を経て、名古屋から四日市の港のコンテンポラリーな景色を眺め、津の頂きへ。緑越しに青々とした豊かな海を眺めることができます。

大自然と人工物。そのどちらの景色も創作する私共にとっては、興味深い素材となります。五感に響くすべてのモノが教師なのです。

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さて、梓川の家のお引き渡しの日。午前10時半にこのプロジェクトに関わった面々が集まりました。するとその時、空に彩雲が表れたのです。

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実は、梓川の家のプロジェクトで松本を訪れる4年という時間の流れの中で、こちらの現場の行き帰りで虹を4度ほど見ました。

一度は設計の打ち合わせ後、諏訪湖SAに広がる美しい虹。

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二度目は名古屋→松本へ向かう道中、中央高速でダブルレインボウを。

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三度目は岐阜県美濃加茂市→松本へ向かう途中、飛騨高山郊外にて。

四度目は松本から塩尻に抜ける国道にて。

そして、五度目にこの彩雲です。

 

「自然を必要な分だけ、必要な時に頂き

そのいのちを美しく使い切る」

 

という計画に

やおろずの神様たちが祝福してくれているようでした。

 

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自然と対峙しながら、

4年という歳月をかけて作るということは、

これほどまでに自らの精神性を高めるのか、と。

 

○か×かという単純な選択だけでは進まない道。

自然には「絶対」というものが存在しません。

 

実は

日本家屋のデザインが難しいのはこの点にあります。

自然から得た恵みを構造材から現しにするという意匠は

多くの経験と豊かな感性がないと難しいのです。

華道でいうと枝振りをどう活かすか?という問いに似ています。

この木の肌をどうみせるか?

絵でいうと額縁、お刺身でいうと器とツマを何にするか?

 

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究極の美は

「あるがままを美しく受け入れること」

 

おそらく、それは、母性であるように感じています。

 

しかし、これからの社会を生きていく上で

とても必要な力でしょう。男性でも、もちろん。

 

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なぜかというと

その精神性を持った思想こそが

本当のところでいう

「エコロジー」であり、「和」のデザインであると

私は、これまでにたくさんの建築作品を作ってきて

感じるのです。

 

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本質を見ることなく

上辺だけ真似たものが多く出回る中

しかし、それらはいづれ薄汚れた感じになるでしょう。

なぜなら、命を持たないから。

つまり生きていないのです。

 

きちんとしたコンセプトを持つ芸術作品には

奥深い思想があります。

それらが古くさくならないのは

思想というものには「死」はないからです。

 

「発酵」と「腐敗」の違いと同じです。

思想は善玉菌のようなもの。

 

素晴らしい建築は皆、生きています。

しかし、この世は三次元ですから

時間の経過から逃れることはできません。

ところが、時として、発酵しているものは

その「経年変化こそが美しい」と感じるのです。

あるいは、「美味しい!」と^^

 

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そうそう、昨晩の夕食の席にて

もうすぐ来る妹の誕生日の話をしていて

「お母さんも来年は50歳になるんだよね」と言うと

「えーーーっ!なんだか信じられない!」と

後ろにのけぞる夫と息子。

「そのリアクションは何ですか??」と思いましたが

「まあ、熟成ぐあい良し!」ということで^^;

 

今日もお昼には、丁寧に作った

酵素玄米と梅干し、

具沢山のお味噌汁を食べるのです。

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週刊いなの取材記事〜耐久性と地盤〜

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