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2015/09/24

モノづくりの次元への上昇

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空が美しい季節となりました。

22日はアトリエを朝5時半に出発し

岐阜県の山並みが美しいところへ

お打ち合わせに行ってきました。

お茶菓子に美味しい栗きんとんをいただいて。

栗、季節ですよね。

岐阜のお菓子

その クオリティの高さには毎回驚かされます。

ディテールの美しさを大切にしているのですね。

 

さて、忙しい合間の中でも

読書を抜きに生きることはできない性分。

先日、面白いなぁ、と思ったのが

小川洋子さんの「やさしい訴え」

 

主人公の瑠璃子は夫との不仲が原因で

ある時ふと実家の別荘に滞在することを思いつきます。

そこで出会ったチェンバロ作りの新田という男性と

新田さんのチェンバロに魅せられて弟子となった

薫という若い女性に出会います。

 

次第に新田さんに心が傾いていくのですが

薫さんと新田さんとの間には

彼女が入り込むことのできない何かがあるのを感じます。

そこに嫉妬心が湧くのと同時に

憧れが湧いてきて

自分の足で生きていく方法を模索しはじめます。

 

表面だけで読み進めると

単なる三角関係のお話だったのか、と

感じてしまうかもしれません。

 

いやいや、そんなに表面的なものではなく

新田さんと薫さんという人物を通して

「モノづくり」の苦しさや難しさ

作者のこだわり、世界観など

美しいものが生まれる過程を

とてもリアルに描いています。

 

とくに 「手」についての描写はお見事。

美しいものを作り出す人の手は

観察しているととても個性的で面白いものです。

 

現場などで職人のくるくると動く手は

何か独特の魅力があり、見入ってしまうほど。

 

その象徴となる「手」を怪我してしまうシーンなどは

筆者がモノづくりの現場をとてもよく理解されているのだろうなと

作家としての懐の深さを感じてしまいました。

 

真によいものを作ろうとしている人間には

あるレベルの次元上昇のようなものが起こります。

肉体は現実である3次元にあるのですが

意識レベルでは違う次元に存在します。

 

新田さんと薫さんはこの次元を共有することができるのですが

瑠璃子はもちろんその次元に行くことはできません。

それを瑠璃子は薫さんに対する「愛」と表現しています。

 

そのくだりを読んだ時、嗚呼そうか、と。

 

つまり、向かっている先は「愛」とも呼べるのかと。

 

モノを作るというのは

常に前向きな気持ちでなくては

人が見て感動するようなものはできません。

 

現在の概念を超えたものに向かうためには

現実の肉体や精神を超えた先につながり

そのイメージを現実に持って来て

コツコツとこの三次元の世界に

具現化させるのです。 

 

このような骨の折れる作業を続けるためのエネルギーは何か?と考えると

それは筆者の描いたように

「愛」であるのかもしれません。

 

 

 

 

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