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2013/07/11

向かい合い、そして次なるステージへ

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例年より随分早く本格的な夏がやってきましたね。いや~、毎日暑い暑い^^;

さて、先日国立新美術館で行われている「貴婦人と一角獣展」に行って参りました。

視覚・聴覚・味覚・触覚・臭覚、そして第六感。

この6つをテーマにしたタピスリーの展示。

動物とユニコーン、草花をモチーフにした6枚の作品。

たいせつな、大切な、人間の感覚。

 

その大切な作品は、気も遠くなるような時間とエネルギーをかけて作成されています。手仕事ですから、エネルギーはしっかりと織物から感じることが出来ます。静かではありますが、とても力強いエネルギー。

展示室に立つと、この6枚のタピスリーが自分を取り囲みます。

視覚…聴覚…味覚…触覚…臭覚、そして第六感。

自分の感性とタピスリーの感性がクロスオーバーします。

さて、中心に立った時、部屋は薄暗いのですが、キラっと光が差した感じがしました。今思うと、その時置かれている状況の答えが与えられたのです。(いつも降りてくるのは建築の神様なんだけど、この日は魂の女神様^^)

というのも、このところ、人の良心に付け入り、自分では何も努力することなく、どうにかしてもらおうするタイプの人にどういうわけか頻繁に出会っていました。

最初はあんぐりと開いた口が塞がらないな~、と思って流していましたが、あまりにも短期間にこのタイプの方にめぐり合う。

そうこうしているうち言葉が出なくなり(このタイプの人は人の話を聞く姿勢が全くないので)…しまいには本当に声が出なくなったのでした。

こんなに短時間に頻繁に遭遇するということは、私が何かしら学ぶ時かもしれない、とこの事態に正面から取り組むことにしてみました。

声は出ないのに咳ばかり出てつらい日々。しかし、何と言っても身体は本当に正直です。頭では平気なつもりでいましたが、いやな思いを咳や痛みで身体の外に出そうとしているのだな、と。まだまだ白隠禅師には程遠いな~。修行、修行じゃ。

そこでその展示室で降りてきた答えとはどのようなものだったかと言うと、

誰かに何かをやってもらおうという姿勢の人達は、この大切な五感+第六感を忘れてしまっている。つまり「感性」にフタをしてしまっている。ということ。

占い師が言っていたとか、みんなが言っていた、とか。

全ての価値基準が「他人」なのです。

例えばもし、愛する人から「実はさ、ある占い師に聞いたら、キミと結婚するといいと言われたので、僕はキミと結婚したい」な~んて言われたとすると、やはりその人と結婚してしまうのでしょうか?

「自分」が一番長く、そして深く「自分」と付き合っているのでしょう。どうして、会って間もない(いえ、会ってさえいない場合もあるのかも)占い師や他人を信じてしまうのでしょうか。とにかくこれは理解できなかった。。。

わかっていないのにわかったふりをしたり、自分では違うと思っていてもその場の雰囲気で他人に合わせて、またそこでフタをしてしまう。みんながそう言っているからいいやって。

そんなことを繰り返していたら、だんだん自分と他人との境界線がなくなってしまいます。

自分に忠実じゃない。のです。自分、可哀想ではないですか?

それは、自分の人生を歩んでいない、ということではないでしょうか。

かのシェークスピアも言っています。

最後に、最も大切なる訓え……己に対して忠実なれ、さすれば夜の昼に継ぐが如く、他人に対しても忠実ならん。

と。

そしてこの日はステキなマダムと一緒だったのだけど、彼女の生き方が全く反対のタイプ。自立した女性。帰りは私の体調を気遣い、自らのスマートフォンでサクサクとロマンスカーを予約してくださって。これがまさにスマートフォンのスマートな使い方だなって^^

彼女と別れた後の爽快感と心の透明感は残り香となり、

ふと、「おや?喉の調子、良くなりそう…」と。

病は愛(アガペー)の欠乏から起こり、そして愛(アガペー)にて癒されるもの のよう。

そして、今…

喉の調子も回復し

嬉しいことに、益々クリエイティブな感性が増したので、頭の中がアイディアで飽和状態^^

正面から向き合うと、それを乗り越えた時、こんなにもエネルギーに溢れるのですね~。

よし、今日も行ってみよう。

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