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2013/01/08

試練さえも 両手でいただくこと

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世間より1週間遅れてのスタートとなりましたが、ようやくやるべきことを終え、通常のペースに戻りつつあります。

昨日、寒中見舞いのはがきを買いに文具店に寄ったのですが、その通り道に平積みされていた本。

パラパラとめくるとある一節の文章が私の心にささりました。

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「ていねいに生きる」とは、

自分に与えられた

試練さえも、両手でいただくこと。

誰が考えてもよいもの、ありがたいもの、例えば賞状、卒業証書、花束などを両手でいただくのには、何の抵抗もないでしょう。しかし、自分がほしくないものだと、そうはいきません。拒否したい、突き返したいようなものが差し出された時、果たして、それらを受止めるだけでなく、両手でいただく心になれるだろうか、と私は、自分自身に問いかけ続けています。p153

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これは著書である渡辺和子氏も「問いかけ続ける」と言っているように、人間のはらんだ矛盾という現実をとても美しくわかりやすい言葉で表現しているなあと思いました。

人生は試練の連続だと思います。ここでは受止め方のことを言っているのでしょう。

 

「受止め方」は「感性」だと思います。

「感性」は内側からあふれ出てくるエネルギーのようなもので、特に創作を行うときなどに顕著に現れます。

創作を続けていると分かってくるのですが、実はこの「感性」が人間が生きる源になっているのではないかな、と。自然界は「感性」で有機的に繋がっていますね。

しかしとても残念なことに、現代の人間社会はこの「感性」を無視した流れになっているようです。

「理性」ばかりで物事を判断しようとする価値観。

ややもすると「感性」までも「理性」で作り上げようとしています。

「感性」は他人の評価に左右されません。

さらに枯渇することはないと感じます。枯渇したと感じるのは「理性」で「感性」を作り上げようとしているから。

誰かの視線や評価を気にしていては、感性はしぼんでしまうのです。

 

これに似た現象が実はヨーロッパの「ルネサンス」前後に見られます。

神のために生きてきた人間が人間らしさを取り戻す時。

単にお金持ちのための文化だけが生まれたのではなく、血と涙と汗まみれの激動の時代があったからこそ、人間性が豊かになり、それが文化となったのです。

そう、試練さえも、両手で受止めた…

さて、理性のために生きてきた私達は、これから新たなるルネサンスの時が来ているのではないでしょうか。

 

ということで、現在「vie Cafe」ではルネサンスに焦点を当て、どのようにこれからを豊かに生きていくかを考えていきます。何か生きるヒントが見えてくるかもしれません。

 

次回カフェは1月18日(金)14:00~

詳しくはこちら→

みなさまとたくさんの豊かさを共有できますように。

5月15日は出張カフェです。皆でルネサンス3大巨匠であるラファエロ展に参ります。

こちらもお楽しみに^^

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