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2012/09/30

おねえちゃんと芸術

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秋の風と秋の空

心地よい季節です。近くの田んぼは一面金色に輝き、どこまでも高く澄み渡るスカイブルーの秋の空とのコントラスト。

その風景はまるで桃源郷にいるようです。

みなさまには大変ご心配をおかけしております。

胸骨骨折のほうはなんとか落ち着いてきました。益々骨太女です。

鞭打ちの後遺症と戦っていますが、これもなんとか治すように今トレーニングに励んでいます。

さて、私がどんな状態でいようとも、現場は美しく仕上がっています。

刻々と変わる様を見るのはは、今私の一番の楽しみです。

外観のイメージができるようなところまでできました。

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西側から見ると造形が錯綜しています。

この建物は難しい取り合いがたくさんあります。「つなぎ」を使わずに異素材どおしの取り合いを巧みに納める文化は日本独特の文化です。

職人の器用さと忍耐から生れ出たものです。我々も忍耐づよく新しい「美」の出現に取り組んでいます。

北見方の家の外壁の仕上げ材は木と土。

自然のものをなるべく素地のままで使います。メンテナンスがほぼいらないのは自然のものであるからです。

もちろん「モノ」でありますので朽ちてはいきます。でも「ボロボロ」にはならない。古びた美しさに感銘を受けるという審美眼を持っているのであれば、この素材の良さがわかるでしょう。

しかし、悲しいことに最近ではモノは朽ち果てるという現実を受け止めることのできない方が増えているのでしょうか。

このテーマ、先日もカフェ&タイ料理の会で話題となりました。

日本では何でもかんでも新しいものが良しとされ、その新しさがずぅっと続くと勘違いしている人が多い と。

特に、女性はなぜ「若い水着を着た女の子」でなくてはならないのか と。

女性については未確認ですが、これは大量生産・大量消費の所産物でしょうか。

アタマの中だけで物事の白黒をつけようとする教育の所産物でもあるかもしれません。

モノをつくるのはアタマだけではなく手あり心であり精神でもあります。

このような意味を含めると、家というものはずうっと作られ続けるものでもあります。

引渡しが終わってから、その家が生きるのか死んでしまうのかは

住む人の愛と知性によるのかもしれません。

これから、葉山にてまた新しいプロジェクトが始まります。

愛と知性に溢れる温かいご家族の住まい。

永遠の幸せが訪れますように。と願いを込めて作って参りましょう。

愛と知性です。

 

ところで、「若い水着の女の子」論。

毎月最終金曜日の午後のカフェにて続きます。

高尚な芸術論からおねえちゃん論まで、楽しい会です。

楽しい仲間でお待ちしております。

次回は10月26日(金)14:00からです。

ヴィ・カフェ 2012豊穣の秋のお茶会 →

こちらもぜひどうぞ^^

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