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2011/08/12

アンナ・カレーニナは建築的構成だった

Ft0106

アンナ・カレーニナ読了しました^^;

読み始めが7月15日だったので約一ヶ月ほどかかりました。暇を見つけては読み、暇を見つけては読みと断続的であったけど夏の楽しい時間となりました。

この小説を読むのは3回目であったのですが(恥ずかしながら、読んだことさえ忘れていました^^;)受け手(読み手)の懐具合によって作品の印象が全く変わるのには驚きました。

また、様々なところに記されている書評により受けていた印象と全く異なる小説でした。

 

どうしてこんなにも違うのか。

最後の解説を読みながら、なるほどと思いました。構成が非常に建築的だったからなんですね。

トルストイ自身も「この小説の構成(アーキテクチャー)にかなり誇りを持って建築用語を用いて次のように言っていたようです。

「アーチ天井の各部分がしっかり組みあがっていて、どこに要石があるかわからないくらいでしょう。構造のまとまりのベースになっているのは、行為でもなければ同上人物同士の関係(友情)でもなくて内的な連関なのです」(光文社古典新訳文庫アンナ・カレーニナ4解説P.397より)

私の想像では、このアーチの天井はかなり高く組みあがっており、辺りはパイプオルガンの音が響き渡っているのかな、と。また、私の感覚で言えば、この小説の構造はアーチの組石造ではなく、木構造とRCの混構造が浮かぶのですが…

 

主人公はアンナとリョービンの二人。この二人の共通のキーワードは「正直さ」

その正直さを何に向けて表すかで人生が全く異なるものになっていく。

この二人が織り成す様々な現実と思想の折り重ねにより、二つの物語が進んでいきます。一般的な小説だとこの平織りの織物の作品で完結してしまうところですが、この小説はさらに一歩も二歩も踏み込んでいくことができます。

階段を一歩一歩上がって行き、その経過での景色をも堪能させ、登りきった時に、上から見る眺めに感動するような構成。そこが建築的なのです。

そして、この立体で構成されたエピソードとエピソードの間にある「空間」を描くことが主たる目的だったのでは?と感じ取りました。

*優れた建築家の創る建築は、その物体である建物自体のみをデザインしているのではなく、その物体で境界づけられた空間をデザインしているということです^^

また、この小説のさらなる深みは重力の存在ではないかなと感じています。

建築で言うと、地下室のような存在。

それは、この小説の終わり方に表れています。

アンナの死で終わるのではなく、その後の恋人の心情や生活、つまり周りの人間の現実が淡々と続きます。また、リョービンが開眼する話も続いていきます。この小説が単純なラブロマンスでなく、内的な連関に要石があるということの証明のように。

「生きるということは生活という現実と向き合うこと」

つまり、「何のために生きているのか?」「幸せとは?」という内的な問いに対してのトルストイの答えが最後に集約されて喩えられているように感じました。

言葉で表すことが答えなのではなく、「今、生きている自分の中にすでに答えがある」ということ。そしてそれは頭で考えられるものではなく、もうすでに存在していることだということ。

優れた建築であるかどうかはその使われている空間を体験してみないとわからないように(持論)、この小説も歳を重ね、いろいろな人生経験をしてから読まないとその本当の素晴らしさはわからないかものなのかなと。

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