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2011/07/20

アンナ・カレーニナ 3回目

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そろそろ長編小説に取り組もうかなと手に取ったのが「アンナ・カレーニナ」

第一部22章に入ったあたりで(およそ200ページ)あれ?やっぱりこれ読んだことあるなと。

しかも、度々。一度英文でも読んだのを思い出した^^;

記憶の糸を手繰り寄せてみると、最初に読んだのは中学生だったと思う。家に世界文学全集があり、ひまな時に読んだりしていたから。「戦争と平和」は挫折したのだけど。

高校生の時に英文で読んだのかな~。いつだったか全く覚えていないのですね……

ではなぜ、今200ページまで全く気がつかなかったのか考えてみたのだけど、

 

それはおそらくこの小説の偉大さ、完璧さなのではないかと(本当は私の記憶力のなさですが)

つまり、読み手と共に変化する小説と言えば近いでしょうか。それだけ描写が的確かつ細かいということでしょう。完全にやられました~。

それにしても四半世紀経て、読んだ感じが全く違う印象なので少々面食らっています。

当然のことながら

乙女といえば聞こえが良いですが、中学生では青二才。まだまだティーンエイジャーのキティにしか共感することが出来なかった~。国語力もなく(このころから理系女子)少女漫画程度の理解力しかないですから。

「では、今ではアンナに共感するのですかい?」と言われそうだけど、そうでもない。

今回の読み方としては違う部分に感銘を受ける。例えば教養と野蛮、都会と田舎、ホワイトカラーとブルーカラーの狭間での隠喩的バトルなど。ビジネスの世界では日常茶飯事なことですもの。

さらに、ぐぅーーんときたのは自分の本当の気持ちに従わずに、世間体や他人の目(この時代は社交界)で判断するとゆくゆくは痛い目にあうぞ~ということかしら。それがこの本のテーマの「不幸」につながるのかな、と。

「あれ?なんかおかしいな?」という動物的カンを「みんなが言っているから大丈夫」なんて気のせいにしてもみ消してしまうか、それともそこでじっくりと自分に向き合い、考え直して軌道修正するかでその後の運命が決まるのですよね~。これは、自営業や会社経営などをしていると心の底から共感できることかも。つまり人に媚びたり、頭でばかり考えていても駄目だっていうことですたい。

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