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2010/10/05

意味がなければスイングはない と連弾してみる

Sarada

やっと 野菜がバリバリと食べられるようになりました^^

親知らずの抜糸(いとのほう)をしに病院へ行ったときのこと。

夫のお迎えを待つ間 売店で本を見つけました。

それは 

「意味がなければスイングはない」 村上春樹著

 

この本はご存知の方も多いのでは。

いわずも知れた 音楽について書かれた本。

その中で

「ゼルキンとルービンシュタイン 二人のピアニスト」という章があって

こちらが私の心をこの本との連弾に連れ出したのです。

 

題名からもわかりますが

ゼルキンとルービンシュタインという

二人のピアニストを比較しながらそれぞれについて

「秀才」と「天才」という言葉を使って

村上さんが語るといった内容です。

 

読んでいるうちに 思い出しました。

私もこのような方法で論じたぞ と。

確か……学生時代。まだ建築のケの字も知らない頃のこと

最初の研究室のゼミの課題でした。

「オットー・ワーグナー」と「アントニオ・ガウディ」について

これからプロへ向かっての第一歩だ~ な~んて

当時 ワクワクしていた気持ちを今でも覚えています。

 

この二人の生い立ちから建築作品、そして生涯を調べ 

「秀才」と「天才」というものの比較で論じたのです。

(といっても所詮 学部生の書く程度のものですが)

もちろん ワーグナーが「秀才」でガウディが「天才」

 

オットー・ワーグナーは1841年生まれのオーストリアの建築家

オーストリアのウィーン郊外 

ウィーンは建築群が共鳴しており

そこから今にもワルツが聞こえてきそうなほどの美しい街並み。

ハプスブルグ家の気高さが残っているのでしょうか。

都市計画も美しいのです。

ウィーンを旅している時 ひとり旅だったのですが

なんだかほんわかした気分でした。

 

ワーグナーは建築家でもあり都市計画家でもありました。

代表作として ウィーン郵便貯金局 美しいですね。

(あいにくこの建物を見ることができなかったのでぜひ見たいと願っていて)

ワーグナーの建築の美しさは線と線の奏でるリズム感

ある時期 アールヌーヴォーの影響を受けて植物モチーフも取り入れていますが

その中にもワーグナー調といいますか

なんとも ワーグナーらしい きちんとしたリズムがあるように感じます。

月曜日 国語 算数 体育 体育 音楽 

火曜日 理科 社会 国語 算数 図工

といった学校の時間割のように。規則正しく。

 

 

さて アントニオ・ガウディ

1852年生まれのスペインの建築家

情熱あふれるカタルーニャ生まれ 職人一家の三男坊 

スペインといってもカタルーニャ地方 言葉も日本でいうスペイン語ではなくカタルーニャ語の地域(スペイン人はカタルーニャ地方の人をあまり良く思っていないらしいのですが)

 

こちらはもう代表作を知らない人はいないでしょう。

サグラダ・ファミリアやカサ・ミラなど あまりにも有名で言うまでもないですね。

サグラダ・ファミリアはいつまでたっても工事現場。

新しく作っているおとなりで過去の修復工事が行なわれています。

その空間に身を置くと感じるのが 時間 ではないでしょうか。

現在 過去 未来 が共存する 空間と時間

4次元を見事にあらわしています。

はてさて ガウディはここまで考えていたのか?と塔のてっぺんまで登った時に思いました。

さらには いつまでも工事中でいてほしい

未完成が完成品ではないかな~と(これはあくまで私の希望ですが)

 

つらつらと思いを馳せながら 時がたち 

こう感じるようになりました。

はてはて ガウディは「天才」と呼ぶのに相応しいか?

いえいえ、簡単に「天才」と言ってしまうとガウディに悪いような。

そもそも「天才」ってなに?と。

 

「天才」は努力もぜずにある時突然才能を発揮する人

というイメージが一般的には 出回っているようですが

私は努力なしには「天才」という存在はありえない と感じています。

特に ものをつくる という分野の中においては です。

 

  

なぜかというとガウディは決して

一般的に言われている「天才」ぶりで仕事をしていたわけではなく

かなり真剣に建築と向かい合っていたのだと思います。

四六時中 建築の中です。 

かっこうはよさげですが、実は苦しいのだろうなと。

それはそれは 建築を食べてしまうくらいの勢いだったのだろうと。

サグラダファミリアの設計中は40日間の断食をしているくらいですから。

あれだけのモチーフを具現化させるにはかなり入魂しないとできないでしょう。

ガウディの最後は路面電車にひかれてしまうのですが

その時も建築の中にいたのではないか と察します。

(私もよく「あのプランにするためにどうやっておさめようか」と歩きながら考えることがあるので気をつけます。凡人ですが^^)

 

つまり

努力の方向と成果のベクトルが同じだと秀才

努力の方向と成果のベクトルが違うと天才

 

言い換えると

努力のあとが分かりやすい成果と分かりにくい成果があって

分かりやすいのが秀才 分かりにくいのが天才 かなって

(あらら 言い換えてもなんだか分かりにくいですね)

 

このように

この両者の比較に対する私自身の考えも日進月歩で

自分の建築家としてのタチイチを確認するためにも

今でも とても役に立つ課題のひとつであります。 

  

この記事を書くために 随分時間がかかりました。

きちんと書こうとすると 堅苦しくなってしまうし

専門用語がいちいち 注釈を必要としてしまう…

簡単に書こうと努力しましたが、

なかなかうまく書けない~。未完成品^^

そもそも ブログで書く内容ではないのかも~。

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