« 見た目とは | トップページ | 俯瞰 客観 おかん »

2009/05/12

化石になりたい

Photo

 ふと気を許すと文字を読む習癖あり。最近では二宮金次郎のごとく本に取り付かれていて。本を読み始めると、その本に書いてある本が気になり…とエンドレス。

 さらに読むコツなども強化され、ますます読むことになり。今ではPCで簡単に古書なども手に入り、誠に幸せな環境。ポストに毎日古書が数冊。有難き幸せ。

 最初は欧州文化などおさらいをと新書などを読み進めるうちに、理系頭の私は頭がこんがらがってきて、「いかんいかん、塩野七海先生にご指導賜わねば…」とフィクションに渡り、なぜか巡り巡ってインドまで到達。なぜか今、インド。船乗りみたいね。

 

 インドは混沌としていて、それは今の私の頭の中のよう。そう、私の頭の中は今カオスの真っ只中。だからインドに留まっているに違いない。

 混沌の中に存在する時、無口に陥る。いえ、陥りたくなる。頭の中が果てしなく広く、深くなっているゆえ、軽はずみな言語で表現するとそれは非常に安価なものとなってしまうから。

 きちんと咀嚼し、自分の中で整理させてから何らかの形で身体の外に出す。消化不良は身体にはよろしくない。しかし、あまり溜め込んでもよろしくない。

 昨日のお昼に夫に「インドにいる」話をすると、インドに関する本を貸してくれた(といっても十数年間ウチにあったものだろうけど)

 「インドでわしも考えた」 椎名誠著 

 パラパラとめくっていると、こんな文章が目にとまった。

 インドとなるとどうもそのあたりがすこしばかり違ってくる。ロスの海岸へ行ってさっとひと泳ぎしてTボーンステーキを食べてこようかと思って……とか、香港行って点心ありったけ食って免税のオメガ時計買ってそれからついでにナポレオンカミュ三本ばかし買ってさらに葉巻百本買ってよ、そんでもまだ香港ドルが二百ドルあまってんだからよお、……なんていうようなことがインドではちょっと言いにくい(P.14)

 

 過去にもインド好きの人々が私のすぐそばを通り過ぎていったことが度々あった。しかしその時、私の心は全く動かなかった。

 今でもインドに行こうとは思わない。けれども今こうして「インドにいる」私がいる。混沌の中での孤独は修行。

いっそのことインド砂岩の化石になってはどうだろう。

ちなみに話によると夫もインドが好きなわけではない、ということは付記しておこう。  

インドでわしも考えた (集英社文庫)

ウチの中でこんな本も見つけたが…

インドへ (文春文庫 (297‐1))

|

« 見た目とは | トップページ | 俯瞰 客観 おかん »

わたしのこと」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 見た目とは | トップページ | 俯瞰 客観 おかん »