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2006/08/31

神様のいたずら・・・

足を挫きました。雨上がりの夕方、子供を保育園に迎えに行こうとして。

マンションの駐車場出口のグレーチングで滑り、すてーーーんと転びました。きちんと靴をはかずサンダルで出かけたのがそもそもの間違い。

幸い、夫が引き上げてくれたので立ち上がれましたが。傘を杖がわりにして帰りました。丁度マンションの方々がお帰りの時間で大変恥ずかしかった・・・

忙しく動き回っていたので少し休みなさいという神様のいたずらだったのでしょう。

今日で8月も終わりますね。

皆さんの今年の夏の思い出は沢山つくれましたでしょうか?

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2006/08/30

窓の魅惑

先日より仕事の合間を縫って専門書を読んでいる。「窓」についての本である。

窓というのは人間の精神にとても影響を与えるものであり、また建築という視点からみると意匠(デザイン)の決め手となる重要な要素なのである。

あらためて自分達の作品を考えた時、窓という要素は私達の中でとても重要な位置にあるということがわかる。

「窓」に関する歌や映画が沢山あるのも人間の心に深く作用するものであるからではないだろうか。

例えば旅に出たとき、宿の部屋に入った際、私の場合真っ先に窓からの景色を眺める。景色がよければスケッチをしたり写真を撮る。

そして窓を開けたときに頬を伝う風の湿度や心地よさは旅の思い出として一番良く覚えていることかもしれない。

窓・・・そこにはおそらく予想できないくらい多くののドラマが存在するのであろう。

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2006/08/26

ワクワクする日々

昨日は午前中トーヨーキッチンのショールームへ行って参りました。トーヨーキッチンといえばステンレス。そしてデザインはミラノでデザインされています。私の最近のテーマであります「洗練」というキーワードにヒットいたしました。

前日にショールームにお電話いたしましていろいろとお伺いしましたところ、「ご自邸でいらっしゃいますか?」と尋ねられました。それくらい私の中のキッチンのあり方と共通するものがありました。それはとても細やかなところなのですが。

その足で横浜ベイシェラトンホテルのカフェにて素敵な女性とお会い致しました。ベイシェラトンのカフェは大きな空間で横浜らしい華やかでありながら落ち着ける空間です。私はこのカフェが大好きです。お客様の層も落ち着きのある方々ばかり。

毎回、素敵なマダムを発見いたします。

私も素敵に歳を重ねようと思います。

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2006/08/24

川の流れのように

最近思います。「運命の流れに逆らって生きるのではなく、しなやかに。」と。

たまに井戸に入ったりもしますが、抜け出した時の達成感はなにものにも変えられないような気がします。

昨日、井戸から現実に戻りひとつ大きなプランが出来上がった!と思い、さて、ゆっくりといろいろな資料を読んだりしましょうか。と思っておりましたら、また新たな井戸が用意されました。

私の人生、ゆっくりと過ごした時がないくらいいろいろなものを与えられます。その作業や精神統一は非常に困難なものが多いのですが「必要な時に必要なものや人が与えられていいじゃない。」と友人に言われたことをいつも思い出します。

そして今は「建築、特に意匠を極めなさい。」と神様に指令を受けているかのような感じがしています。本当に他のことが出来ないくらいに自分も没頭していることがわかります。今の夫(今も昔も今の夫ですが)とこうして24時間、365日建築にどっぷりと浸かっていることは自分の宿命なのでしょう。

私は書道が好きでした。幼少の頃は何時間も書に没頭し、足がしびれたことも忘れ、立ち上がりステンっと転んだことははっきりと覚えています。

白い紙と墨の黒の織り成す空間は私が最初に作り上げた「私の中外の美」であったかと思います。

自分にしかない流れる川に身をまかせて。今日もまいりましょうか。

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2006/08/23

建築家の住まい

今回で100連載となりました。いつも沢山の方々に支えられてここまで参りました。

誠にありがとうございます。

実は100回目に何を書こうか随分迷いましたが、やはり自邸についてかなと思い書き綴ってみたいと思います。

一回ではとても書き切れないですが。

私は今マンション住まいです。いろいろな検討結果、マンションのほうが私達家族の今のライフスタイルに合っていたからです。

おそらく、子供達が巣立っていくまではここが拠点となるでしょう。

では、自邸は?と聞かれましたら。

私はアトリエとリビングのある平屋を将来持つことが夢です。緑の中で青い空と海が見えることが必須条件でしょうか。ゆっくりとした時間を過ごす空間にしたいと考えています。朝日をみながら、アトリエでエスキースをし・・・グリーンのあるテラスでおいしいランチを気の合う人たちと楽しみ、シエスタ。そして夕日を眺めてまた絵を画く。

キッチンやお風呂などの水周りにはかなりこだわりを持って設計すると思います。

老後にはしたくありませんが、近い将来必ず。

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2006/08/17

命の水

すっかり井戸から脱出し、パワーアップ致しました。何か本当に良くなるときは一時期悪くなります。高いジャンプをするにはかがみますが本当なのですね。

今回もいろいろな方のお力を頂きました。素晴らしい方々に囲まれていて本当に感謝です。私の人生で一番大切にしているところです。

学生時代からの同士のH君、悩み相談ありがとう!忙しいところ。

クライアントでありまた人生の師匠であるIさん、設計を気に入ってくださっているお便り、本当に勇気がでました!

ダンスのM先生、美しくなるためのカラダのDS、頑張ります!

Eさん、素敵な方をご紹介くださってありがとうございます。新しい展開が楽しみです。

・・・そして家族の健康と笑顔。

おつきあいはとても大切ですね。井戸の中にもお付き合いはあります。何ものにも変えられない素晴らしいものです。私にとっての命の水です。

ご縁は大切にしていきたいといつも思います。

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2006/08/16

井戸

ここのところ自分の中にわだかまりがあった。あったというよりむしろあることに意識をしている。と言ったほうがより近い表現かもしれない。

自分のスタイル、つまり建築のあり方についてあるエスキースをしながら考えさせられたのだ。村上春樹の小説によく井戸が出てくるように、私もその井戸の中で何日も過ごしている。そんな日々である。もちろん意識の中だけであるが。

自分の中にある未昇華なものを昇華させることは未昇華の時の苦しさが深く長いほど、昇華したときの解放感は大きい。

私が学生の時はこんなことを考える時間も空間も沢山あった。そして同じような人間も近くに存在し、よく話をしたものである。

学生時代より感じられたのは、建築の意匠をやる人間には大きく二通りのタイプがいる。ひとつは見た目のよさのみでデザインをする人。もうひとつは私のように井戸に入ってしまうタイプである。

社会に出て組織に所属するとぐっと前者の割合が増える。そのほうが空気を沢山吸えるからだ。私のように井戸の中に入る人間はたいてい酸欠になる。

といってもこの20年建築の世界にいて感じるのだが井戸に入っている人はやはり井戸仲間が出来、酸欠の中でももがきながらいろいろと議論したことや共に成長した仲間は魂レベルで繋がっているように感じる。そこにはいつも生と死の香りが存在するからだろうか。

はやく井戸から出たいのだがこればかりは自分の力で這い上がるしかない。

この井戸に入ることがどういったことなのかピンときた方は井戸仲間の可能性が高い。

井戸端会議ではないので、あしからず(^^;

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2006/08/14

捨てる神

パソコンのブックマークが多くなってきたのでかなり削除した。私は捨てることが出来ない女であったのだが、一度この「ふんぎり」というか「わりきり」みたいな訓練を行い、技術を身につけるとかなりリフレッシュ度の高い作業であることがわかった。

家や自分の周囲が雑多な時、私は必ず体調を崩す。体調がイマイチ・・・気分もフツフツとしているときに何か簡単なものを整理し捨てるようにしている。捨てる作業は価値観等の直感的な整理にもなるのでかなりオススメである。

注意したいのは途中で思い出にふけったりしてしまうこと。これでは捨てられなくなるし、疲れる。だから直感で仕分けるように試してみてくださいね。

家の中には空間を空け、風通しをよくしないと運も入って来ませんとよく聞きますね。

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2006/08/13

ひとりの時間を持つこと

ひとりの時間をもつことは実は時間を有効に使うための必須事項だと最近あらためて感じる。自分の生きるベクトルの矢印の方向や大きさを修正する時間。

子育てや仕事をしていると、自分のことが後回しになってしまいがち。しかし、一日15分位でもよいので自分がひとりになっていろいろと思いを馳せたり、ボーっとしていると、ふっといろいろなことがひらめいたりする。

最初は罪悪感のようなものと共存するのだが、結果的には質のよい生活ができることが身にしみてわかるので大きな顔してこの時間を満喫できたりする。

自分の習慣は変えることができる。私が面白い発見をいたのは、「思い込み」というデビルくんである。

母親が自分の時間を持つなんて。という思い込み。私もそうでした。では、理想の母親とは?とじっくり考えたことは?と。私は私に問いかけました。そこで、自分の母親という立場での価値観をじっくり考えました。漠然とした思い込みの多かったこと!

妹に話すと大うけしていた、私の笑える思い込みの例え。

私は左右の視力が違う。左目は0.5くらい、右目は0.1無い。それでコンタクトレンズをしているのだがつい先日まで右目にコンタクトレンズをつけるのが苦手だと思い込んでいた。しかし、ある時ふとどうしたらうまく装着できるようになるだろうか?と考えた。それで自分がどういう工程で装着しているか振り返ってみた。

私は左目から装着していた。そうすると余計に左右の視力が離れるため遠近感がおかしくなる。それで右目からつけることにしてみた。そしてそれからは失敗していない。

では、どうして左目から装着していたか。それは最初に教えてもらった時、左目から看護婦さんが教えたからだ。たまたま看護婦さんが私の左側に立っていたというそれだけ。

思い込みというものはデビルくんにもなるのだ。

こうしてコンタクトレンズが苦手だった私は今ではコンタクトレンズは苦手ではなくなったのでした。しかも装着する時間も五分の一になったのです。

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2006/08/10

家系の人たちに囲まれて

私と気の合う人はなぜか「家系」の人が多い。(ラーメン屋ではない。)家系、つまり作家や写真家などで食べていく人達である。

私は「建築家」というにはまだおこがましい身分であるのだが、ちょっとこの辺を考えてみた。つまりどういう人が「家系」であるか。「自分がある人だ。」そして「他人と比較しない人。」「新しいものにやたらと飛びつかない人。」・・・どちらかと言うと古いものが好きな人が多い。

皆それぞれのこだわりが強く、そのこだわりや存在自体をとても大切にしているからいわゆる「前向きでへこたれない人」が多い。そして私はそんな人たちと繋がっていることがとても大切に思える。

学生のころ、瀟洒な喫茶店でアルバイトをしていたことがある。スペインのタイルで出来たアナグラのような喫茶店。そこにはいわゆる「文化人」という人たちが常連さんであった。私はカウンター越しにそのお客さんの好みのコーヒーをサイフォンでコトコトと入れながら芸術や経済の話を聞き入る。その空間と時間が大好きであった。

建築学科の学生だったせいか話しかけられることも多く、芸術三昧であった。ドイツからの留学生がアルバイトで入り、いろいろな建築家や建築物の話をあやしい英語(私のほうが・・・)で会話した。

彼女とガウディ展を見に行った記憶は鮮明だ。帰りの電車では辞書を片手に専門用語と戦いながら感想を語り合った。彼女は建築学科ではなく文学部だったのだが、自国や他国の歴史や芸術はかなりくわしいところまで話ができる。建築学科以外の人が近代建築の巨匠の名や作品を連ねることにその時驚愕し、はてさて日本人はここまで話ができるだろうか・・・とかなりまたまた深く考えてしまった。

今ではこういった芸術を語る場所が少なくなってきているような気がする。久しぶりに会い、家系の人と接していると楽しくて時間を忘れるくらいに話込んでしまう。家系の人生は深いしおそろしく哲学的なのである。そんな人たちが私は大好きである。いつかそういった人たちが集える場所を設計してみたい。もちろんサイフォンで入れたおいしいコーヒーは欠かせない。

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2006/08/05

脳も夏バテ

人間の脳の可能性は大きいそうだ。建築の設計業務は脳をフンダンに使っているように思う。特に最初の企画設計やエスキースの段階では、かなり高密度に頭をフル回転させる。どちらかといえば右脳よりかな。

実施設計の段階に入ると淡々とやコツコツと・・・といった脳の使い方が多い。

現場監理は頭も使うがコミュニケーションが一番大切なので営業的な気の使い方をする。

今上のすべての状態の物件があるせいか私の頭はいろいろなところにアクセスされ、かなりオーバーヒートぎみであった。昨日は夕食を作ろうとしたときに立ちくらみがして(マンガのように星が回っている)完全に脳が停止してしまった。夕食のメニューがまったくウカバナイ・・・

「働く女性を応援します」という林さんの言葉を思い出し、ダイエーにお惣菜を買いに行く。「たまにはこういうのもいいよね。でもたまにはだけど。」という息子に「ダイエーは働く女性を応援してくれているのよ。」と言ったら「男だって働いてるじゃん!」と。確かに・・・でもなにか誤解している気もするが。

さらに今日は朝起きてすぐにもうひとりの小さいほうの息子が「レゴブロックでオウチを作るの手伝って。」と言われて手伝っていたのだが、だんだんスタディ模型に見えてきてまた頭の中で「ツゥーーーーー。」という音がして機能停止。息子は怒るけど、これは眠るしかない。

先程、復活して起きたら家が静か・・・。レゴブロックでオウチを作っていた息子とそれを手伝っていた夫がお昼ね中。レゴブロックでだってオウチを作るのは頭を使うのですね~。

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2006/08/03

ひっそりと。

昨日は打ち合わせにお客さまの御宅へお伺いしました。とてもグリーンが豊かで道行く方も品がある。そんな地域です。

お約束の時間より少し早くつきましたので敷地の周辺を歩いておりました。設計する際はこの「お散歩」はとても重要なのです。「場を読む」と言うと近い表現でしょうか。

その「お散歩」の際、ひっそりと佇む「レストラン」を発見しました。本当にひっそりとしており、「素敵!」と思い名前とTELを手帳に控えました。ここではみなさんに公表できないのは残念なのですが。

私はこのように「ひっそりとした存在感」のある人や物が大好きです。「足るを知る」といいますか。言葉では表すことがむずかしい「存在感」なのですが。「知性」と「エレガンス」等が要素としてあるようです。

今朝、インターネットで調べましたが、ご夫妻で営んでいらっしゃるとか。ますます素敵です!

次回はぜひ中を拝見・・・いえもちろんお食事も楽しみたいと思います。

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2006/08/01

金持ちの基準って。

昨晩夕食時。朝床屋に行き、髪をスポーツ狩りにした息子がポツリとこう言った。

「今日、(クサ)野球の仲間にスネオじゃん!と言われた。家も立派な家に住めよ!と。」

ウチの息子は小学5年生。目がつり目なのでそう見えたらしい。しかし、子供のいうことは何と恐ろしいことか。

親が設計士だということを知っていて言ったのだったらその子の勇気は認めたい。そして将来ぜひ私の元に弟子入りしてもらいたい。

しかし、「金持ちの基準は家?なのか。」と聞くと、どうも最近の子の価値観はどんな立派なマンションより「一戸建て」が金持ちらしい。そうなのか~。

私の推測では2階がある家。ということだろうと思う。子供にとって2階というスペースは聖域であるように思う。「羨望」している子供は多い。ロフトが人気なのもそういった理由だと思う。高いところに登ることが好き。それはある意味子供の視線から大人の視線を超え、何かを見下ろす期待感だろうか。立派な大人になろうと思う夢。

ぜひ、その子供達に夢の「一戸建て」を建てていただきたいものである。でも私はできる限り平屋をすすめるだろうが・・・。

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